プロジェクトの構想・目標

私たちのプロジェクトは、多様なひと・団体との連携のうえになりたっています。
回復したいと思うひとを「ほっとけない人」が、
それぞれの力をつないで緩やかなネットワークをつくります。

プロジェクトの目標

[目標1] “えんたく”の開発・普及

アディクション問題の特性に応じ、ケース(当事者)、コミュニティ(地域社会)およびポリシー(政策形成)の位相に応じて、問題共有型および問題解決型の「円卓会議方式のサークル(以下、“えんたく”という。)」を開発し、そのミニマム・スタンダード(基本構造、ルール、共通言語等)を策定し、その担い手を育成し、このモデルを全国および海外に普及させる。

[目標2] アディクション対策スキームの開発

調査研究セクターでは、物質依存・暴力行動・性問題行動等の先発ユニットとギャンブリング、万引き・摂食行動、インターネット・携帯などの後発ユニットは、相互に協力し、“えんたく”方式を採り入れた新たな問題解決スキームを開拓する。

[目標3] アディクション一般理論の構築

理論構築サークルでは、治療法学(TJ)、ハーム・リダクションおよびデジスタンスの理論研究を通じて、上記の対策スキームの理論的基盤を強化し、それぞれのアプローチの汎論性を高め、共通の言語や教材を開発して、多様なアディクションに適用可能な一般理論を構築する。

[目標4] ATA-netの社会実装

“えんたく”モデルのデモンストレーションを行ない、各地で“えんたく”を開催しながら、アディクションからの回復支援のための個人および団体のネットワーク(Addiction Trans Advocacy network:ATA-net)を組織化し、賛同者を増やす。

[目標5] 実証的評価指標による検証

“えんたく”と“ATA-net”の成果を実証することのできる客観的データとその評価指標を提示し、検証する。

プロジェクトの背景

① アディクション(嗜癖・嗜虐行動)の現状

 2014年、薬物関連法違反で検挙された人の数は、覚せい剤の11,148人を筆頭に、大麻1,692人、麻薬・向精神薬341人、あへん24人、合計13,437人であった(厚労省麻薬対策課:2015年)。薬物事犯は、暗数(警察等の捜査機関に認知されない水面下の犯罪)の多い犯罪類型であり、これを補うためのアンケート調査によれば、規制薬物の使用したことのある人は、有機溶剤130万人、大麻95万人、覚せい剤50万人、コカイン12万人、MDMA12万人、危険ドラッグ31万人(嶋根卓也ほか:2015年)、アルコールの有害使用者は218万人、その依存症者は80万人(尾崎米厚ほか:2003年)と推計されている。さらに、非規制薬物の使用については、成人の2.5%が鎮痛剤を、2.9%が睡眠薬を慣習的に(週3回以上)使用している(嶋根上掲)。このように、犯罪であるかどうか、規制対象であるかどうかを問わず、日本において物質依存は、大きな社会問題となっている。
2014年の配偶者からの暴力等の認知件数は59,072件(内閣府男女共同参画局:2015年)、性犯罪の認知件数は、強姦1,250件・強制わいせつ7,400件・わいせつ目的略取誘拐73件・強盗強姦44件、迷惑防止条例違反の痴漢事犯と電車内における強制わいせつは、それぞれ3,439件と283件、盗撮は3,265件であった(犯罪白書:2015年)。また、子ども虐待については、2015年度に児童相談所が受けつけた相談対応件数は、過去最高の103,260件に達し、2000年児童虐待防止法施行前の9.4倍に達している(厚生労働省:2014年)。このように、行動レベルの嗜癖・嗜虐もまた、見逃すことのできない社会現象である。

② アディクション対策〜物質依存から嗜癖・嗜虐へ〜

 伝統的に、日本の薬物対策は、乱用者にも拘禁刑を科す厳罰主義であった。しかし、内閣府の第四次にわたる「薬物乱用防止五か年戦画」や法務省の「再犯防止対策」によって、司法・医療・福祉の各機関が連携し、依存症者の回復を支援する施策がはじまった。
他方で、暴力行動、性問題行動、ギャャンブル依存、インターネット・携帯依存、万引き(クレプトマニア)、摂食障害などの嗜癖・嗜虐行動においても、アルコール・薬物等への依存と同じようなメカニズムが機能しているとの認識が共有されつつある。2013年、アメリカ精神医療学会『精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-V)』は、嗜癖の対象を物質依存から、ギャンブリングやインターネットなどの嗜癖行動に拡大した。しかし、日本では、依然として、犯罪と嗜癖・嗜虐は別のものと考える傾向が強い。

プロジェクトが解決しようとする問題

① 公的支援の機能不全

 政府も、前述のように、アディクションに対して、省庁の壁を越えた総合対策をはじめている。しかし、当事者や家族にとって、取締機関に通報すれば、即座に処罰ということになるので、なかなか司法機関には相談できない。また、公務員には犯罪通報義務があるので、余程の決意がないと、医療・福祉関連の公的機関にも相談できない。結局、当事者や家族は、「公」の支援を受けられず、家庭という「私」領域で逼塞することになる。
公的機関も、手を拱いているわけではない。嗜癖・嗜虐問題に関する連絡協議会を開催して、多機関連携を進めようとしている。しかし、官同士の限られた連携にとどまり、熱心な担当者が異動すると、連携が定例化・形骸化するといった例も少なくない。多機関連携は、それぞれの権限と職能に基づく専門的活動に熱心なあまり、生きる力の回復という当事者の視点が希薄になりがちである。そのため、やっと支援につながった当事者が、回復への道筋が見えず、支援から離脱していく例もある。
このような「公」と「私」の硬直化した関係を打開するために、当事者と家族、その支援者たちによって組織化された民間の自助グループや支援団体(薬物依存の「ダルク」や「リカバリー」、DV・虐待の加害と家族システムの修正をめざす「男親塾」、性問題行動の「もふもふ」など)が独自の活動を展開している。

② 領域の壁を超えた回復支援のネットワークの必要性

 アルコール・覚せい剤等の物質依存については、司法と医療の介入の歴史がある。嗜癖・嗜虐行動については、上記のような官民による治療や支援の萌芽が見られる。しかし、それぞれの取り組みは独自に発展してきたこともあり、アディクション支援相互の連携や協力の体制が整っていない。
このような問題状況を克服するためには、嗜癖・嗜虐行動の原因やメカニズムついて正確な知識をもち、当事者や家族の回復を適切に支援する支援者が増え、互いに協力し合う必要がある。公と私の壁、アディクション相互の障壁を超えて、ステークホルダーが協働する支援者のネットワークが必要である。

解決に向けた取り組み

① “ATA-net”構築と“えんたく”モデル

 本プロジェクトは、上記のような要請に応えるため、多様な嗜癖・嗜虐行動からの回復を支援するネットワーク(Addicts Trans-Advocacy Network)」(以下「ATA-net」という。)構築と「円卓会議」モデル(以下「“えんたく”」という。)を日本全国に普及させることをめざしている。
ATA-netは、これまでのアディクションをめぐる実践と理論を踏まえ、多様化する嗜癖・嗜虐行動への司法・医療・福祉の介入を、治療的司法(司法を当事者の回復という視点から捉え返す試み)、ハーム・リダクション(個人と地域社会の有害性を縮減していく取り組み)、デジスタンス(嗜癖・嗜虐行動から離脱している状態を創出する取り組み)など、最新の理論的パースペクティヴの下で一般化・汎論化し、これをアディクトの回復支援・アディクション対策にフィードバックしながら、当事者を中心に、公的セクター(警察、検察庁、裁判所、矯正・保護、医療、福祉、自治体など)と私的アクター(家族、隣人、地域社会、民間支援団体など)が、組織や問題の枠を超えて「つながる(縁)」ゆるやかな「プラットホーム(卓)」である。
“えんたく”は、これまでアディクション問題に取り組んできた経験から生まれた問題や課題を共有するための実践モデルである。わたしたちは、アディクションを「孤立」のもたらす病(やまい)であると考えている。アディクションからの回復のためには、当事者と地域社会の関係性を総体として修復・構築していく必要がある。“えんたく”は、共通の問題や課題を中心に集まった、多様なステークホルダーの集合体である。したがって、アディクションのような、総合的関係修復を必要とするテーマに相応しいアプローチである。
“えんたく”は、ケース(事案解決)、コミュニティ(地域社会)およびポリシー(政策形成)の3つの位相で招集される。その目標は、問題状況と解決課題の共有であって、直接的・具体的な解決ではない。“えんたく”は、当事者やその家族、その直接支援を目的とするグループを支える「土壌」を開拓するための仕掛けである。

② 近未来の回復支援のイメージ

 本プロジェクトが初期の目的を達成し、ATA-net の組織化に成功すれば、日本全国のアディクションに苦しむ多くの当事者とその家族、回復支援や政策形成に取り組む公私の団体や個人が、ATA-net に相談を持込み、コーディネーター(組織支援者)の指導にしたがって各地で“えんたく”を企画し、ファシリテーター(運営指導者)の調整に基づいて、ステークホルダーを招集し、その地域に専門家や民間団体が不在の場合には、ATA-net が“えんたく”開催に必要なアクターを派遣し、総合的に支援するという関係を創り出すことができる。このようなアディクションをめぐる新たな公共圏が創出されれば、当事者や家族、特定の個人や組織が問題を抱え込んで孤立するという現状が大きく改善されることであろう。
かつて研究代表者は、「ダルクができると街が明るくなる」と述べたことがある。薬物依存という解決の糸口すらない問題を抱えて悩み、苦しんでいた人たちが「ダルクに行けばなんとかなるかもしれない」という希望を持つことによって、日々の支援活動に明るく取り組めるようになる。ATAネットATA-net の構築と“えんたく”モデルのスキームは、「発見・介入しづらい空間・関係性における危害を低減し、犯罪や事故を予防する」ことをめざす「新たな手法」である。
将来、このスキームが制度化・政策化されれば、現代日本の「孤立」がもたらす多様な問題群を解決の糸口が示唆され、人びとの安全な暮らしの実現に寄与することができるであろう。

③ ATA-netの研究開発と普及戦略

 覚せい剤を中心とする薬物依存については、すでに、ダルク等の民間団体と協力して、刑事司法過程の検察段階(起訴猶予)、裁判段階(執行猶予)および矯正段階(仮釈放)において、回復支援モデルを構築し、実践している。2016年6月の刑の一部執行猶予の施行を契機に、保護観察所とも協力して、釈放後の受け皿を提供することが予定されている。また、このような処遇をともなうダイバージョン政策の担い手を育成することを目的としたDARS研修を国内・国外で実施しており、これを強化・拡大して、日本の各地および東アジア地域で担い手育成活動を計画している。また、これらの活動を支える新たな政策理論としての「ハーム・リダクション」、当事者の主体的な回復の方向性を示す「デジスタンス」論についても、調査研究を深め、広く社会に普及させていく。
暴力行動および性問題行動については、DVや幼児虐待、暴行・傷害等の暴力犯罪、痴漢や強制わいせつ等の性犯罪、極端な場合には、強姦や殺人という形態で、刑事司法過程で把捉される。しかし、刑事裁判は、個人の過去の行為に対する非難としての責任を確定し、行為者に対して制裁を加えることを基本としているので、将来に向かっての予防や個人の成長とは、直接、結びつく可能性が低い。本プロジェクトでは、これらの嗜癖・嗜虐行動の背後にある「孤立」に着目し、犯罪化する前、あるいは、処罰から解放された後に、犯罪や非行に邪魔されることなく、その人らしい生き方をしていくことの支援を司法と協力しながら、医療や福祉の領域で実践していくための法理論としての「治療法学」についての理解を深め、これを社会に普及させていく。とりわけ、これらの問題領域について、公的機関とNPO等の民間団体が協働し、先進的な活動を展開している大阪地区において、新たな実践のプラットホームを構築する。
すでに、全国展開を実践している物質依存問題および大阪の地域に根ざして活動を展開している暴力行動・性問題行動のグループが、先進ユニットとして、調査研究・社会実践の推進役となる。さらに、あらたな問題領域として注目されているギャンブリング依存、窃盗(クレプトマニア)・摂食障害、インターネット等への依存については、その嗜癖・嗜虐としての特性を十分見極めながら、先進ユニットの回復モデルを修正しつつ、探索的に社会実践を重ねていく。  このようにして、社会実践活動としての深みを増しながら、普及活動を推進するとともに、新たな嗜癖・嗜虐行動にも対象を拡げ、研究開発領域を拡大し、社会実装の実を上げ、これを“ATA-net”というソーシャル・ネットワークとして構築していく。