“のむ、うつ、かう、そして「なぐる」”というアディクションに注目します。

“のむ、うつ、かう、そして「なぐる」”というアディクションに注目します。

人は何かにハマります、何かに萌えることもあります。
それらは生きる糧となり、生きる意欲ともなります。
趣味、娯楽、余暇として嗜む程度のものは人間に必要な「余分」「余白」といえるでしょう。

しかしそうではない事態もあります。
嗜むという「余裕」ではなく、逼迫した何かがあり、当面の課題の回避にむけて自己流に問題を解決するやり方として選択されていく「もの」や「こと」があります。さらにそれは「する」という行為として持続します。
たとえば、アルコールや薬物の摂取、ギャンブルや風俗サービスの利用、暴力、虐待、いじめ、体罰などの暴力の行使です。すべてが犯罪となるわけではありませんが、違法なものや問題行動との連続線上にあります。禁止された薬物の使用は犯罪とされます。対人暴力は、私的領域で、親密さや一定の関係性をもとにして起こりますが徐々に社会問題とされつつあります。病的ギャンブリングは生活困難をひきおこします。ネット、携帯、風俗などの過度な利用は対人関係に課題をもたらします。これらを端的に表現する言葉があります。「のむ・うつ・かう」です。ここに「なぐる」を加えてもいいでしょう。
何らかのままならない事態があり、徐々に大きくなる喪失感や不全感に対処するため、日々の生活のなかで遍在するこうした「もの・こと」に手をだし、没入していきます。激しく渇望し、それをすることによって快楽を得、直面している問題を忘却し、達成感を満たしてくれるのです。
「のむ、うつ、かう、なぐる」という行動は、コントロール感を得ることができるチャンネルとして身近に存在しています。得られた快楽や逃避の構図は習慣となっていきます。比較的長い期間、繰り返して、さらに昂じていきながら持続していきます。結果、それ中心に生活が回り出します。

「禁欲・禁止・処罰」だけではない対応をめざします。

「禁欲・禁止・処罰」だけではない対応をめざします。

こうした習慣となった行動に「禁欲と禁止」を説くだけでは解決困難です。触法行為となれば「処罰」も待っていますが、罰だけでは解決できません。なぜなら「禁欲・禁止・処罰」の系だけでは、本来抱えている課題と向き合うことにならないからです。逆に、回避・逃避・無視・隠蔽などを伴いやすいのです。
さらにアディクションとなることでバランスをとっていたことが崩れていくかもしれません。問題を解決できずにいる自分が採用している荒療治としてアディクションがあるとも考えられます。「禁欲・禁止・処罰」だけではバランスが崩れていき、それに替わる「もの・こと・ひと」を代位することがないと問題に直面する力が出てこなくなります。回復という言い方はこの力をつけることを意味します。やり直し、立ち直り、回復(リカバリー)、脱暴力、離脱へと向かうことを可能にする必要があり、そのための理念、制度、臨床、実践、手続きを開発していきたいと考えました。
アディクション問題をかかえる人たちの多くは、触法、加害、逸脱、問題の側にいる人たちとなります。その人たちとの離脱に向かう協働となります。だからこその難題があります。

「なぐる」を視野に入れます。

第1は、対人暴力のことです。DV、虐待、ストーキング、性問題行動、いじめ、ハラスメントなどは犯罪化されていない行動群と地続きです。いかなる犯罪化をすべきなのか、詳細に事案をみれば、嗜虐性もあり、再行動化しないような脱暴力への支援を組み込んだ、行動変化を促すプログラムが要請されるべきです。これらを嗜虐問題と把握することにより、暴力行動が習慣化し、葛藤解決行動として常態化していることをとらえることができます。暴力を通じて関係性と相互作用をコントロールすることに満足感や達成感を得ています。これらのことから暴力という行動に依存しており、暴力を向ける他者が不可欠であることから関係依存や行為依存としてみることができます。諸外国ではDVコートなど脱暴力の受講命令を組み込んだ犯罪化と脱暴力化が組成されています。

回復や治療に向かう司法・正義をめざします。

第2は、薬物使用、病的アルコール使用、盗癖、繰り返す性問題行動等は嗜癖問題であり、適切な治療と回復に向かうことが選択できずに犯罪化・逸脱化されているのです。刑罰や医療による介入は、依存症やその背景にある改善すべき当人の心理社会的な問題は重視されておらず、回復と治療が前景化していません。諸外国のようにドラッグ・コートの制度をとおした治療的司法の概念が日本では浸透していません。これは「回復と治療なき厳罰化」といえます。

たて糸となっている知と制度の専門家を「よこ系」につなぎます。
それを支える理論サークルもつくります。

第3は、アディクションに関してたくさんの支援組織や機関があり、資格のある専門職能者いて、実践の知が蓄積されています。ただしこれは縦割りで制度や専門家中心という弊害があります。禁欲・禁止・処罰という系でアディクションを断ち切るという基本的な方向性が組まれています。縦に専門化している制度を、問題解決のための治療と回復を可能にする司法・正義へと転換していく必要があります。そのための理念(治療的司法・正義、ハーム・リダクション政策、デジスタンス政策としての脱暴力プログラム受講命令、家族再統合支援、性問題行動のプログラムなど)をもとにし、民間の治療的・回復的なコミュニティを活用しつつ展開する実践が求められています。

TOPICS